茨城旅行*牛久大仏、筑波宇宙センター
2019年7月、家族で1泊2日の茨城旅行に行った時の話。息子1歳4ヶ月。
ふるさと納税の返礼品で宿泊券をもらったので、宿ベースで観光プランを立てました。
初日は土砂降り! コンパクトカーと一緒にチャイルドシートもレンタルしていざ出発。(コンパクトカーにしたのは夫が運転に不慣れなため。義実家の大きな車はビビりながら運転していたけれど、このレンタカーは見事に乗りこなし最初から最後までずっと一人で運転頑張ってくれました。)
パサール守谷にてお昼休憩。偶然居合わせたゆるキャラのマナーティと記念撮影。NEXCO東日本のキャラクターだそうです。
だんだん見えてくる大仏像……。
駐車場を目指してちょっと彷徨う車内から撮影。遠目にも大きいな!
牛久大仏のある浄土庭園(併設の墓地も含めて牛久浄苑という)に到着。駐車場から仲見世を抜け、庭園と大仏胎内の拝観がセットになったチケットを購入し、1000分の1スケールのお顔と記念撮影。
このお顔も十分大きいのに、後ろの大仏様はこれの1000倍の大きさなのか~。ブロンズ立像としては世界最大だそうです。
發遣門(はっけんもん)をくぐり、大仏様が真正面に見える道へ。
この時少し雨が止んだけれどかなり曇っていて暗く、大仏の顔が少し怖い。
せっかく雨が止んでいるならと、大仏胎内に行く前に園内の花畑に寄りました。
紫陽花の季節で、たっぷり開いた花がとても綺麗でした。
様々な色の紫陽花がたくさん咲いていて見ごたえあり。立派な花畑でした。息子、常に足開いてない?
花との写真を撮り終えて、大仏胎内へ。
トイレなし、飲食禁止。そして土足厳禁のため、下の写真のように靴は脱いで入口に置いてある袋に入れて持ち歩きます。
1階は「光の世界」でライトアップされた空間、上の写真は2階の展示スペースにある大仏の右足親指先端の実物大模型。触ってもOKだったから息子が触ってるんだと思います(記憶が曖昧)。
同展示スペースの大仏設営写真。
エレベーターで5階の展望室へ移動。
地上85m、大仏様の胸部らしい。小窓から東西南北の景色が見えました。景色の写真は碌に撮ってなかった。
3階の「蓮華蔵世界」。永代供養のための胎内仏が約3,400体も奉安されているとのこと。胎内の丸い壁一面金色で壮観でした。
2階には写経空間があり、別料金で写経を体験できます。写経してみたかったけれど息子がいるのであまり時間が取れず断念。
大仏胎内巡りが終わってからふれあいガーデンテラスへ。
ちょうどお猿のステージが開催されていた。息子も興味津々で見てくれました。曲芸も演技もすごかった。このお猿さん、現在3歳の息子より賢いと思う。
牛久浄苑を出発後大雨に。宿のチェックインまで少し時間が余ったけれど息子を連れて外に出られる天気ではなかったので、車の中でやり過ごしました。大人だけだったら牛久大仏近くのあみプレミアムアウトレットとか行ったかもしれない。
牛久大仏のある牛久市から、隣の稲敷市へ移動。コンビニで息子の飲み物やおやつを調達し、アジアンタイムリゾートホテル隠れ屋にチェックイン。大仏からは車で30分もかかりません。
全室、露天風呂付&コテージになっていて、建物として独立しているので部屋が広くて静か。騒いでも隣に響かないので赤ちゃん連れにはありがたい。
2食付きプランで、夕食も朝食も部屋に持ってきてくれます。
写真では分かりづらいけれど室内風呂もあります。息子はこちらに入れて、寝かしつけてから大人だけで改めて露天風呂を使いました。
夜になって入るとき、奥の白い壺にカタツムリがくっついていて、虫苦手なので夫に逃がしてもらった。雨だったから出現するのも仕方ないね。
派手に光るベッドサイドランプ。
さわやかな朝。2日目は晴れました。
この日はつくば市観光。つくば市は博物館や研究施設が多いのでどこへ行くか迷うかと思いきや、2日目は月曜日。旅行の日にちだけ先に決めており、多くの施設が月曜休館であることに旅程を決める段階で気づき「しまった!」となりましたが、それでも開いてる施設はいくつかあったのでその中から行先を選定。
まずはJAXAの筑波宇宙センターへ。ここはマストだったので月曜開いてて良かった!
入場無料の展示館「スペースドーム」と、ミュージアムショップだけ立ち寄りました。
これは息子が暴れだしたタイミングの写真ですが、スペースドーム内はベビーカー可です。
展示を一周したところでちょうど定期ガイドが始まったので、ガイドを聞きながらもう一周。
これは国際宇宙ステーション「きぼう」の実物大展示に交代で入っているところ。
本物の人工衛星が置いてあったりと、とても見ごたえのある展示でした。
宇宙服に顔をはめて撮影もできる。
ランチはトラットリア エ ピッツエリア アミーチへ。人気店なので数日前くらいに席の予約をして、2店舗のうちの1号店の方へ行きました。
石窯で焼いたピザがとてもおいしかった! 子ども用の椅子と食器も用意してもらいました。息子も耳の部分をもりもり食べました。
ランチ後に食と農の科学館へ。入場無料。
農林水産業の研究成果の展示、農具類の展示など、内容は小学校高学年以上向けの施設かな~と思いました。クイズコーナーもあり挑戦してみたものの、上の写真のとおり正答率50%以下のもう少しで賞(左のおさかな博士は夫)……普通に難しかった。勉強し直せ。
コンバインやトラクターなど大型農機の展示もあったので、車好きの子どもなら楽しめそう。息子も今なら車LOVEなのに。
この頃のお出かけをこうして記録していると、息子がもう少し大きければもっと楽しめたのに、と思うことばかりだけれど、赤ちゃんの頃のこういう刺激が今の息子を作っているのだと考えれば、無駄なことは何もなく良い旅だったと振り返ることができる。
茨城からの帰り道、千葉県柏市の道の駅しょうなんに寄って休憩。おむつ替えもできました。
レストランヴィアッヂオでおやつ。真ん中のミルクは息子の分。
※↑レストランに付けてたリンク外しました。2021年に閉店されたそうです。(2023.6.11追記)
これにて茨城旅行はおしまい。研究学園都市すなわちつくば市、子育てに良さそうな街だなー! また博物館や研究施設巡りに行きたいです。
上野公園 国立科学博物館*大哺乳類展2
2019年6月、地元の友だちYちゃんと一緒に大哺乳類展2を観に行ったときの話。
場所は国立科学博物館@上野恩賜公園。お互い子連れベビーカー。
国立科学博物館は日本館・地球館があり、大哺乳類展は特別展示のため入口から見て奥にある地球館で開催。
超人気展示のため、事前にネットで電子チケットを購入し、窓口に並ばなくても済むようにしておきました。
展示を見に行く前に、子どもたちに持参した離乳食を食べさせるため日本館地下1階にあるラウンジを利用。でもこの時小学生の団体と被ってしまい、混雑しててちょっと大変だった…….。離乳食完了期を過ぎても、館内のレストランに子ども用メニューはないようなので、食事は別の場所で済ませた方が良いのかも。
おむつ替えもラウンジ内のトイレで済ませていざ展示室へ。
平日とはいえ人が多いため、ベビーカーは専用置場に預け、展示室の中は抱っこ紐で移動(ベビーカー使用は可、貸し出しもあり)。
標本や骨の展示など色々あるけれど、やっぱりはく製の展示がいちばん興奮した!
ほとんど撮影可だったけれど、息子が途中から抱っこ紐を嫌がって降りてしまい、ゆっくり写真は撮れなかった……。
子どもが大きくなったらまたこういう展示に連れていきたい。第3弾をぜひ!
博物館を出た後は上野の森PARK SIDE CAFEで休憩。
晴れていたのでテラス席♪
入店まで少し並びました。平日休日問わず客は多そう。
子どもが泣いちゃっても屋外だから立ってあやしやすい。
カフェの後は公園内をお散歩。綺麗な噴水があったので記念撮影をしました。
こうして写真を見返していると、走り回れるようになっていたらもっと息子本人にも楽しんでもらえただろうな~と思う。また自由に遊びに行ける日が早く訪れますように。30代のわたしたち夫婦がコロナワクチンを打てる日はいつ来るのだろうか。
双子を死産した話②
タイトル通り暗い話です。自己責任でお読みください。
入院5日目
最後の採血と診察があって、点滴の管が外された。
元々あった腰の痛みと、子宮の収縮による腹痛以外は体に異常なし。
母乳の分泌を抑えるための錠剤を飲んだ。この場の一粒限りで終了ということだったので驚いた。
看護師さん(助産師さんだったかも)から退院後の生活についての説明があった。
心と体のケアについての冊子と、子どもを亡くした保護者の会のパンフレットを渡されたが、会に参加することはないだろうなと思った。
産褥期なので1ヶ月後の産後検診まではゆっくり過ごしてくださいと言われた。
出産前日くらいに夫を通して義母から、産褥期になるから家事をしないで済むよう2週間ほどうちに来たらどうかと誘いがあり、
長男のときの出産とあまりに違うのでわたしはそれまで産褥期という考えがなくハッとさせられたのだった。義母の気遣いがすごいなと思った。
退院日
朝、お腹の手術の傷の抜糸。きつく縫ってあったので糸を引っ張られた時痛かった。
1cmほどの小さな傷の上に改めてテープが貼られ、自然に取れるまでこのままでと言われた。
昼食まで病院でとって、15:00頃義母の運転する車で夫と息子が迎えに来た。
まず夫だけ面会室に来て、一緒に双子を見た。
夫の目が赤くなっていたが、主治医の先生と助産師さんと看護師さんもその場にいたからか、泣くことはなかった。
主治医の先生から2人の死因についての説明があり、もはや重要ではなかったけれど、なんとなく、納得して、
多分手術する前からみんなが思うより状態が悪く、こうなってしまったのは仕方なかったんだろうなと思った。
双子の入った箱を一つずつ夫と持って、裏にある救急用の扉から病院を出ると息子がいた。
飛びつかれるかと思ったが照れて義母にまとわりついて、いつも通り元気そうだった。
双子を葬儀社の人に預けて、2日後の火葬について説明を受けた。
義母は会社を休んでうちに泊まって家事をしてくれた。
火葬の日
義母の車を借りて夫と2人だけで参列した。
骨が残るよう朝一番で予約を入れてもらい、9:00前には到着。
お腹の中で2人一緒だったから、最後まで一緒が良いだろうと棺は一つにしてもらった。
小さな棺に入った双子の周りに、小さな花束をバラして出来るだけたくさん敷き詰めて見送った。
1時間ほどで火葬が終わり、骨上げ。
思っていたよりたくさん骨が残っていてホッとして少し泣いた。
骨壷も一つにしてもらった。
それを抱えて東京の家を出発し、今は義実家の床の間に置いてある。
死産の後、義実家にて
夫が連休と実家での在宅勤務を申請してくれたので、家族みんなで3月半ばまで義実家にいます。
正直、自分の家にいた方が精神的に楽だけれど、体の回復を優先させようと思い義母に甘えることにしました。
息子が昼寝している時間にひとりで近所の喫茶店に出かけてこのブログを書いています。
看護師さんから、辛い気持ちを紙に書き出すと少し気持ちが楽になることもあると教えてもらったので、それなら鮮明に覚えているうちにとブログを書くことにしました。
義実家に来てすぐ夫と2人で話す時間があったので、もう妊娠が怖い、出産したくないと泣きながら話したら、「次はきっと大丈夫だよ」と言われ、
やっぱりそれを言いやがったなとギャンギャン喚くうちに少しスッキリしてしまい、あともう一回なら頑張れるかなという気持ちになった。
もう二度とこんな思いしたくないし、それでもまた死産か流産してしまう可能性はゼロじゃないから、本当はもう次なんてないのに。
わたしの体は多分また妊娠できるのだろう。でも妊娠する気になれるかは分からない。
少なくとも今後1年は子宮の回復のために妊娠できないので、その時間を自分の心の回復のために使おうと思った。そうすれば多分大丈夫だろう。
わたしは、あ、今精神的に追い詰められてる、このまま放っておくと鬱になる、と感じたら、今後自分が楽になれる見通しを立てることを最優先にして回復を図ることにしている。その環境を作ってくれる夫がいるからできることだけど。
4月から息子が幼稚園に通い出す。それからの1年、息子と日中離れる時間を自分のために使う。そう思えば少し元気になった。このブログも書けた。
妊娠を報告していた友人にLINEで、赤ちゃんが亡くなったと報告すると、みんな悲しんで残念がって、わたしの体を気遣ってくれた。また妊娠しようと思ってるとも伝えたけれど、次はきっと大丈夫とは誰も言わなかった。
ほとんどが第一子のいる友人で、流産の不安に耐えた経験があるからか、多くを語らなくても分かってくれている気がした。
夫はやっぱり分かってくれなかったけれどそれで良い。きっと経験しなければ絶対に分からないから。入院の日まで続いていたつわりで動けずにいた間、在宅勤務しながらほとんどの家事と育児を代わってくれて、次に妊娠した時もそうすると言ってくれた、それで充分だ。
結婚して間もない頃、友人の結婚式に出席したとき、わたしより1年ほど早く結婚した友人と「子ども欲しいよね、無事に妊娠できたら良いなー」と話していると、実は一度流産したと打ち明けられた。
それを思い出してぞっとした。わたしはその時何と言ったか。
妊娠できたならまたできるよ、と言ったはずだ。
「自分の母親も1人目流産してるんだ、だからわたしもそう思う」と友人は笑いながら話していた。
その後お互い妊娠し、1日違いで子どもを産んでいる。
流産も死産も、機会がなければわざわざ言わないだけで、きっと身近に起こっていることなのだろう。わたしはここに書き遺していく。
病名は双胎間輸血症候群(TTTS)。
いくつか保険がおりて、入院手術にあたってかかった費用は賄えて収支はプラス。夫が「そんなの貰ってもむなしい」とらしくないことを言ったが、わたしは妊婦健診代やタクシー代に充ててくれと言った(夫が家計簿をつけている)。
もう二度と双子は妊娠したくない。
そのうち元気になって、何事もなければ2人目、3人目と産むつもりなので、今度は1人ずつ出てきてね。男の子でも女の子でもどっちでも良いから。
そして、妊娠するなら誰にでも起こり得ることだけれど、せめて自分の知ってる人たちだけでも、こんな思いはしませんようにと願わずにはいられない。
双子を死産した話①
タイトル通り暗い話です。自己責任でお読みください。
自分のための備忘録です。
去年の晩秋に妊娠が判明。一卵性の双子でした。
すぐに個人のクリニックから総合病院に転院。
それから間もなく、息子を妊娠していた時よりかなり酷いつわりに苦しむようになり、寒い冬を耐えていた中、
双子特有の血液の病気と診断され、専門的な医療機関に再度転院。
初診の翌日午前に入院、午後に手術となりました。
妊娠17週のことでした。
入院1日目
飲食は0時から禁止。水分は午前10:30までなら可。
売店で手術着等を購入し、夫と息子とお別れ。
病棟に入り、個室か大部屋か聞かれ大部屋と即答。
当初の予定では手術後2週間の管理入院だったため、その間2万越えの個室を使うのは高額すぎるということで。
手術自体は保険のきくものでした。
ベッドに案内された後すぐに手術の説明を聞き同意書にサインし、
手術着に着替え圧迫ストッキングを履き、点滴の針を刺された。
太い針でこれがまあ痛く、点滴の種類によっては腕に痛みが走ることも。点滴の管はその後退院の前日まで刺しっぱなし。
わたしが受けるのと同じ手術が午前に2件入っており、わたしは3件目。
14:30頃にベッドに寝たまま手術室まで運ばれ、お腹の張り止めの点滴開始。副反応で心臓がバクバクするし腕も少し触られると痛みが走るように。
背中に麻酔の針を刺し細い管を通した。
小さな酸素マスクを不織布マスクの下に装着。時々息苦しくて怖かった。
麻酔が効いてくると下半身は押される感覚だけ残して自分ではほとんど動かせなくなり、少し眠気があった。
それでも手術中はずっと意識のあるまま、お腹の中が映るモニターをぼんやり眺めていた。
レーザー手術のためお腹に小さな穴を開け、お腹の中のモニターを見ながら主治医の先生が問題の血管を焼き切っていく。
いつお腹に穴が開いたかも、血管を焼かれる感覚も分からず、一切の痛みはなかった。
1時間程で手術は終了。
お腹の傷は縫合され、透明のテープが貼られていた。小さな傷で、跡は残らないとのことだつた。
大部屋のベッドに戻り、指に酸素モニターを装着、定期的に体温・血圧・脈拍を計測。
ベッド上安静のため翌日までシャワートイレ禁止。手術の最中から尿カテを入れっぱなし。食事は禁止で飲料水は可。
夜に赤ちゃんの様子を見るため主治医の先生がベッドに来て、超音波で心臓が動いていることを確認。
手術は成功したと夫に連絡がいきました。
夜中、手術後の副反応で2回嘔吐。ナースコールして背中をさすってもらった。
入院2日目
朝ご飯から飲食開始。
気持ち悪さはあったものの夜中以降嘔吐はしなくなった。
10:00頃、産科医の先生が超音波で赤ちゃんの様子を確認。
すぐに「2人とも亡くなってる」
肩を落とす先生を見ながら
「そうですか」としか言えなかった。
成功率は決して低くはない手術で、少なくとも1人は助かるだろうとみんな思っていただけに、先生のショックも大きそうだった。
今から思うと、総合病院で病気の診断がおりる前、病気の傾向があると言われる前、
双胎妊娠のリスクを説明された時から、嫌な予感はあった。
ずっと不安なまま、双子用の新しい母子手帳ケースを買えずにいて、結局最後まで買えないままでした。
昼頃、多目的ルームで主治医の先生2人から、手術結果の説明を受けた。
2人とも亡くなった原因はまだ分からずこれから調べるということと、最後に「申し訳ありませんでした」と。
原因が分からないうちは謝られることはないと思っていたので少し驚いた。
今後の入院は亡くなった胎児の分娩のためのものに切り替わるため、その説明も受けた。
無痛分娩を勧められたのでそのままお願いし、日程はすぐじゃなくても良いと言われたけれど最短で進めるようお願いした。
先生や看護師さんの前では泣かないと決めていたので、上手く喋れなかった。
コロナ禍のため家族の面会や手術の立ち会いは一切禁止。入院中に受け渡したい荷物は全て看護師さんを通すことになっていた。
全て終わるまで夫には会えない。夫の前以外で感情的に泣くのは嫌だった。
この時気持ちを切り替えた。
早くお腹から出してあげて、火葬してあげること。
これが赤ちゃんたちに自分がしてあげられる最後のことだと思って、これだけが入院中の心の支えになった。
分娩のための処置が始まるまでにシャワーを浴びて、
ここから分娩が終わるまでシャワーは禁止。
夕方、子宮口を広げる処置を開始。
ラミナリアという、海藻でできた棒状の機器を子宮頸管に挿入するのだけど、
この時が一番泣いた。激痛で。
事前に痛み止めの座薬を入れていたのだけど効いてないだろと叫びたかった。
経産婦なら分かる、いわゆる内診グリグリなんだけどその時間が長い。
死産だろうが産まなきゃいけない。
カーテンを隔てた隣のベッドの女性も、おそらくわたしと同じ手術を受けた人で、
昨日からわたしよりかなり強い副反応が出ていて常に嘔吐していた。ご飯もほとんど食べていないようだった。
頻繁に看護師や先生がベッドに来ていて、夜中も時々そこだけ明かりがついた。
母体の状態はヘヴィだけれど彼女の赤ちゃんはきっと無事だろう。
がんばれがんばれ、わたしもがんばるから。
入院3日目
個室にしますかと聞かれ、残りの入院日数を数えて個室に移ることにした。
トイレ・シャワー付きの一番高い部屋しか空いていなかったが、
夫に事後連絡すると気にしなくて良いよと言ってくれた。
個室に入ってから気が緩んで時々涙が出るようになったけれど、退院するまで我慢しようとすぐに引っ込めた。
朝、2度目の処置。
昨日入れたラミナリアを抜く時も激痛。
あの痛み止めの座薬は一体何なんだ。
この時も痛みで泣いたが、抜き終わってからわたしの呼吸が落ち着くまで待ってもらったのが良かったのか、
また挿入するときには昨日ほどの痛みはなかった。痛かったけど。
昼食抜きで、夕方、背中に麻酔の管を通して3度目の処置。
麻酔のおかげで痛みはだいぶ抑えられたが、押される感覚は残っているので
管を抜く時子宮が圧迫されて下腹がめちゃくちゃ痛かった。
挿入のときも圧迫感はあったが、もう泣かずに済んだ。
ここから分娩が終わるまで麻酔の管は刺しっぱなし。
どこからか赤ちゃんの泣き声が聞こえるようになった。
新生児の泣き声はいくら聞いてもうるさくなくてかわいかった。
息子に会いたくなった。
赤ちゃんに何かしてあげたいことはあるかと聞かれ、
産んだ後はきれいに拭いてもらって服を着た状態で会いたいと伝えた。
分娩後に死産証明書が出るので役所で火葬許可証に変えなければいけないことと、火葬の手続きが必要と説明され、夫に全てお願いした。
後から分かることだが火葬場の予約を取った後でないと火葬許可証はもらえないことになっており、
夫が役所に事前に電話で確認したのに予約は取ってなくても良いと誤った説明をされてしまい、かなり時間のロスが生じた。
この一連の手続きは妊婦本人には絶対無理だと思った(料金はかかるけど代行はお願いできます)。
入院4日目
朝食は抜きで8:00頃LDRに移動し、麻酔の注入を開始。
ラミナリアを抜き、子宮口が3cm開いていることを確認。
陣痛を起こす膣錠を入れた。
麻酔注入のスイッチを渡され、少しでも痛みを感じたらこれを押して自分で麻酔を入れるとのこと。
麻酔が効いてくるまで15分くらいかかるので、せっかく無痛分娩にしてるんだから、痛みは我慢しないように言われた。
ベッドの上でなら自由に動いて良いと言われたが、ずっと腰の痛みがあったためほとんど仰向けのまま陣痛を待った。
10:30頃から徐々に腰のあたりがジンジンと温まるような感覚があり、
これが陣痛かな? と思いながら麻酔のスイッチを入れた。自分で押さなくても時々自動で麻酔は注入された。
助産師さんに、無痛分娩は陣痛が分かりにくいかと聞くと、そうなんですと言われた。
何か変化があればナースコールしてくださいと言われた。
しばらくして、たまたま助産師さんがいるときに破水(少量)し、
あまり間を置かず股に何か挟まったような感覚があり、助産師さんがそこを抑えながら産科医の先生たちを呼んで、
そこからは早かった。いきんでと言われても全然感覚が分からなかったが、
11:57に1人目が出てきて、3分後に2人目が出てきた。
午前中に2人とも出てくるとは思っていなかった。経産婦なので早くお産が進んだのだろう。
無痛だったし赤ちゃんも小さかったので、いつ出てきたのかよく分からなかった。
2人とも綺麗に出てきましたよと言われた。
すぐに夫に知らせて、死産証明書が出るまで待機してもらうことにした。この時夫は岐阜の実家に息子を預けて新幹線でこちらに来ており、またとんぼ返りすることになっていた。
胎盤など子宮内の残物を出して、麻酔の管を外し、麻酔が切れてから14:00には同じベッドの上で昼食のカレーを食べた。
病院で出された食事は全て残さず食べた。何もかもハードで、食べないと力が出せないと思ったから。
その1時間後くらいに、双子と面会した。
200gちょっと、100gちょっとの、小さな男の子たち。
もう完全に人になっていて、ただ小さいだけだった。
息子には似ていないかな。夫に似ている気がした。
助産師さんと産科医の先生が2人を運んできてくれて、この時だけ夫の前以外で泣いてしまった。
早くお腹から出してあげたかったけど、何より自分が、早く解放されたかった。
2人の姿を見て泣きながら、少しほっとした。
②に続きます。
義両親 2019夏の来訪、葛西臨海公園
去年の6月、義両親が東京へ来て我が家に一泊、翌日に葛西臨海公園に遊びに行った時の話。
泊まった日の夜、蘭州の餃子食べとる。好き過ぎてことあるごとに食べてるな。
大きな観覧車や水族館等の施設がある広い公園で、入園は無料。駐車場は有料です。
駐車場から公園の奥へ進むと海があり、更に葛西渚橋を渡ると人口渚に到着。ここは葛西海浜公園となり、葛西渚橋はふたつの公園を繋いでいます。
橋を渡ったところの写真。奥に写っているのは橋の中心にある塔で、ここから斜めにケーブルが張られており、橋の支えになっています(横から見ないと分からない)。
6月頭でしたが海水浴客で賑わっていました。
恐らく、息子に海を見せたのはこの時が初めてだったけれど、全然喜ばなかった。
というか公園にいる間、面白いくらいずっとつまんなそうな顔してた。今の息子ならどこへ連れて行ってもハイテンションなのに……。
葛西海浜公園側から戻ってきて、クリスタルビューというレストハウスに立ち寄り。この写真では伝わらないけれど、透明で綺麗な建物です。
海を見ながら休憩できる展望スペースがあり、
ちょっとした展示もあった。
さて、葛西臨海水族園へ!
チケットを買って入園すると、まず建物の3階に着く構造。
広場を囲むように大きな池があります。3階が最上階なので屋上に池があるということに。面白い建物だなあ~。
ここから階段で2階に降りて展示をまわるのが通常の順路だけど、ベビーカーはエレベーターで1階まで降りて1階から先に見るのがスムーズとのこと(ベビーカー入場可)。1階→2階はスロープあり。
興味を引かれはしていたようだが……ずっと無表情だった……。
息子の反応は薄かったけれど、規模の大きな水族館で大人はとても楽しめました。
大水槽のマグロ群や、
ペンギンのお腹が見える水槽などなど。
〆にわたしと夫のふたりで観覧車へ。息子はじいじばあばと地上でお留守番。
軽度の高所恐怖症の夫。
日本最大級の観覧車ということで、遠くまで見渡せました。
公園に隣接した競技施設。東京2020オリンピックでカヌーの競技会場になる予定だったそうだけど、コロナでどうなってしまうのか……。
公園の駐車場。広い。もっと遠景を撮りなさいよ。
泣かずに大人しく待っていたそうな。そのうち一緒に観覧車乗りたいね。