陽射しのいい部屋

主に旅行・お出かけの記録。ときどき食べ物屋さんのおすすめ。

双子を死産した話①

タイトル通り暗い話です。自己責任でお読みください。

自分のための備忘録です。

 

 

 

 

 

 

 

去年の晩秋に妊娠が判明。一卵性の双子でした。

すぐに個人のクリニックから総合病院に転院。

それから間もなく、息子を妊娠していた時よりかなり酷いつわりに苦しむようになり、寒い冬を耐えていた中、

双子特有の血液の病気と診断され、専門的な医療機関に再度転院。

初診の翌日午前に入院、午後に手術となりました。

妊娠17週のことでした。

 

 

 

入院1日目

 

飲食は0時から禁止。水分は午前10:30までなら可。

売店で手術着等を購入し、夫と息子とお別れ。

 

病棟に入り、個室か大部屋か聞かれ大部屋と即答。

当初の予定では手術後2週間の管理入院だったため、その間2万越えの個室を使うのは高額すぎるということで。

手術自体は保険のきくものでした。

 

ベッドに案内された後すぐに手術の説明を聞き同意書にサインし、

手術着に着替え圧迫ストッキングを履き、点滴の針を刺された。

太い針でこれがまあ痛く、点滴の種類によっては腕に痛みが走ることも。点滴の管はその後退院の前日まで刺しっぱなし。

 

わたしが受けるのと同じ手術が午前に2件入っており、わたしは3件目。

14:30頃にベッドに寝たまま手術室まで運ばれ、お腹の張り止めの点滴開始。副反応で心臓がバクバクするし腕も少し触られると痛みが走るように。

背中に麻酔の針を刺し細い管を通した。

小さな酸素マスクを不織布マスクの下に装着。時々息苦しくて怖かった。

麻酔が効いてくると下半身は押される感覚だけ残して自分ではほとんど動かせなくなり、少し眠気があった。

それでも手術中はずっと意識のあるまま、お腹の中が映るモニターをぼんやり眺めていた。

レーザー手術のためお腹に小さな穴を開け、お腹の中のモニターを見ながら主治医の先生が問題の血管を焼き切っていく。

いつお腹に穴が開いたかも、血管を焼かれる感覚も分からず、一切の痛みはなかった。

1時間程で手術は終了。

お腹の傷は縫合され、透明のテープが貼られていた。小さな傷で、跡は残らないとのことだつた。

 

大部屋のベッドに戻り、指に酸素モニターを装着、定期的に体温・血圧・脈拍を計測。

ベッド上安静のため翌日までシャワートイレ禁止。手術の最中から尿カテを入れっぱなし。食事は禁止で飲料水は可。

夜に赤ちゃんの様子を見るため主治医の先生がベッドに来て、超音波で心臓が動いていることを確認。

手術は成功したと夫に連絡がいきました。

 

夜中、手術後の副反応で2回嘔吐。ナースコールして背中をさすってもらった。

 

 

 

入院2日目

 

朝ご飯から飲食開始。

気持ち悪さはあったものの夜中以降嘔吐はしなくなった。

10:00頃、産科医の先生が超音波で赤ちゃんの様子を確認。

すぐに「2人とも亡くなってる」

肩を落とす先生を見ながら

「そうですか」としか言えなかった。

成功率は決して低くはない手術で、少なくとも1人は助かるだろうとみんな思っていただけに、先生のショックも大きそうだった。

 

今から思うと、総合病院で病気の診断がおりる前、病気の傾向があると言われる前、

双胎妊娠のリスクを説明された時から、嫌な予感はあった。

ずっと不安なまま、双子用の新しい母子手帳ケースを買えずにいて、結局最後まで買えないままでした。

 

昼頃、多目的ルームで主治医の先生2人から、手術結果の説明を受けた。

2人とも亡くなった原因はまだ分からずこれから調べるということと、最後に「申し訳ありませんでした」と。

原因が分からないうちは謝られることはないと思っていたので少し驚いた。

今後の入院は亡くなった胎児の分娩のためのものに切り替わるため、その説明も受けた。

無痛分娩を勧められたのでそのままお願いし、日程はすぐじゃなくても良いと言われたけれど最短で進めるようお願いした。

先生や看護師さんの前では泣かないと決めていたので、上手く喋れなかった。

 

コロナ禍のため家族の面会や手術の立ち会いは一切禁止。入院中に受け渡したい荷物は全て看護師さんを通すことになっていた。

全て終わるまで夫には会えない。夫の前以外で感情的に泣くのは嫌だった。

 

この時気持ちを切り替えた。

早くお腹から出してあげて、火葬してあげること。

これが赤ちゃんたちに自分がしてあげられる最後のことだと思って、これだけが入院中の心の支えになった。

 

分娩のための処置が始まるまでにシャワーを浴びて、

ここから分娩が終わるまでシャワーは禁止。

 

夕方、子宮口を広げる処置を開始。

ラミナリアという、海藻でできた棒状の機器を子宮頸管に挿入するのだけど、

この時が一番泣いた。激痛で。

事前に痛み止めの座薬を入れていたのだけど効いてないだろと叫びたかった。

経産婦なら分かる、いわゆる内診グリグリなんだけどその時間が長い。

死産だろうが産まなきゃいけない。

 

カーテンを隔てた隣のベッドの女性も、おそらくわたしと同じ手術を受けた人で、

昨日からわたしよりかなり強い副反応が出ていて常に嘔吐していた。ご飯もほとんど食べていないようだった。

頻繁に看護師や先生がベッドに来ていて、夜中も時々そこだけ明かりがついた。

母体の状態はヘヴィだけれど彼女の赤ちゃんはきっと無事だろう。

がんばれがんばれ、わたしもがんばるから。

 

 

 

入院3日目

 

個室にしますかと聞かれ、残りの入院日数を数えて個室に移ることにした。

トイレ・シャワー付きの一番高い部屋しか空いていなかったが、

夫に事後連絡すると気にしなくて良いよと言ってくれた。

個室に入ってから気が緩んで時々涙が出るようになったけれど、退院するまで我慢しようとすぐに引っ込めた。

 

朝、2度目の処置。

昨日入れたラミナリアを抜く時も激痛。

あの痛み止めの座薬は一体何なんだ。

この時も痛みで泣いたが、抜き終わってからわたしの呼吸が落ち着くまで待ってもらったのが良かったのか、

また挿入するときには昨日ほどの痛みはなかった。痛かったけど。

 

昼食抜きで、夕方、背中に麻酔の管を通して3度目の処置。

麻酔のおかげで痛みはだいぶ抑えられたが、押される感覚は残っているので

管を抜く時子宮が圧迫されて下腹がめちゃくちゃ痛かった。

挿入のときも圧迫感はあったが、もう泣かずに済んだ。

ここから分娩が終わるまで麻酔の管は刺しっぱなし。

 

どこからか赤ちゃんの泣き声が聞こえるようになった。

新生児の泣き声はいくら聞いてもうるさくなくてかわいかった。

息子に会いたくなった。

 

赤ちゃんに何かしてあげたいことはあるかと聞かれ、

産んだ後はきれいに拭いてもらって服を着た状態で会いたいと伝えた。

分娩後に死産証明書が出るので役所で火葬許可証に変えなければいけないことと、火葬の手続きが必要と説明され、夫に全てお願いした。

後から分かることだが火葬場の予約を取った後でないと火葬許可証はもらえないことになっており、

夫が役所に事前に電話で確認したのに予約は取ってなくても良いと誤った説明をされてしまい、かなり時間のロスが生じた。

この一連の手続きは妊婦本人には絶対無理だと思った(料金はかかるけど代行はお願いできます)。

 

 

 

入院4日目

 

朝食は抜きで8:00頃LDRに移動し、麻酔の注入を開始。

ラミナリアを抜き、子宮口が3cm開いていることを確認。

陣痛を起こす膣錠を入れた。

麻酔注入のスイッチを渡され、少しでも痛みを感じたらこれを押して自分で麻酔を入れるとのこと。

麻酔が効いてくるまで15分くらいかかるので、せっかく無痛分娩にしてるんだから、痛みは我慢しないように言われた。

ベッドの上でなら自由に動いて良いと言われたが、ずっと腰の痛みがあったためほとんど仰向けのまま陣痛を待った。

 

10:30頃から徐々に腰のあたりがジンジンと温まるような感覚があり、

これが陣痛かな? と思いながら麻酔のスイッチを入れた。自分で押さなくても時々自動で麻酔は注入された。

助産師さんに、無痛分娩は陣痛が分かりにくいかと聞くと、そうなんですと言われた。

何か変化があればナースコールしてくださいと言われた。

 

しばらくして、たまたま助産師さんがいるときに破水(少量)し、

あまり間を置かず股に何か挟まったような感覚があり、助産師さんがそこを抑えながら産科医の先生たちを呼んで、

そこからは早かった。いきんでと言われても全然感覚が分からなかったが、

11:57に1人目が出てきて、3分後に2人目が出てきた。

午前中に2人とも出てくるとは思っていなかった。経産婦なので早くお産が進んだのだろう。

無痛だったし赤ちゃんも小さかったので、いつ出てきたのかよく分からなかった。

2人とも綺麗に出てきましたよと言われた。

すぐに夫に知らせて、死産証明書が出るまで待機してもらうことにした。この時夫は岐阜の実家に息子を預けて新幹線でこちらに来ており、またとんぼ返りすることになっていた。

 

胎盤など子宮内の残物を出して、麻酔の管を外し、麻酔が切れてから14:00には同じベッドの上で昼食のカレーを食べた。

病院で出された食事は全て残さず食べた。何もかもハードで、食べないと力が出せないと思ったから。

 

その1時間後くらいに、双子と面会した。

200gちょっと、100gちょっとの、小さな男の子たち。

もう完全に人になっていて、ただ小さいだけだった。

息子には似ていないかな。夫に似ている気がした。

助産師さんと産科医の先生が2人を運んできてくれて、この時だけ夫の前以外で泣いてしまった。

早くお腹から出してあげたかったけど、何より自分が、早く解放されたかった。

2人の姿を見て泣きながら、少しほっとした。

 

②に続きます。